白衣を脱げばただのジャニヲタ

看護師とジャニヲタの兼業

6→3その先には

いまさらですが、充電期間に入ったKAT-TUNについて。


ブログでまだ詳しく話した事はなかったけど、何を隠そうわたしをこの沼に引きずり込んだのは彼らです。


あの頃のわたしは幼かった!
そう、まだ小学6年生くらいだった。
いわゆるJr黄金期の真っ只中にいた彼らがどんどんデビューという道に進んでいく最中だった。

そんな中。
タキツバのバックで踊るKAT-TUNを繰り返しリピートしていた。
少クラで新曲が披露される度にひたすらリピートしていた。

わたしをここまで引きずり込んだ当の本人は1番最初にグループを飛び出した。

ハイフンさんには申し訳ない。
わたしはAの抜けたKAT-TUNを追い続けることができなかったのだ。

「愛はいつも追いかけるモノ」でなければならない。

だけど、追うことができなかった。
結局わたしはAを追い続けていただけで的は狭かったのだ。
KAT-TUNという大きな的ではなかったのだ。

なので、わたしは自分をハイフンとは言わないようにしている。

そして、気づいた時にはジャニーズからやや遠ざかっていた。
というより、そういう方向に持っていっていたのだと思う。

「マイク6本で壁壊す」

その通り、彼らはどんどん記録を塗り替えた。
しかし、そのマイクの本数はどんどんと減少をみせた。
だけど本数なんて関係なかった。

いつみても彼らは彼らで、わたしの中の青春だった。

そう気づいた時、しばらく見ていなかった少クラを見た。

あの時の衝撃は忘れられない。

ギラギラしてて強くて熱い。
決して媚びないのに何故かどこまでも追い続けたくなる。

キラキラしてて幸せであったかい。
みんな可愛くてこのままいつまでも見つめ続けていたい。

たった数年。
数年でどうしてこうも変わる?!

それはわたしが年を重ねた結果なのかもしれない。

しかし、それはそれでいい。
なぜなら新時代のジャニーズJrは見るだけでセロトニンが分泌され幸せに満ちるという感覚を覚えてしまったからだ。
まんまとわたしは新たな沼に落ちた。

そして、そんな衝撃があったことなんか忘れていた。

だけど今回のKAT-TUN10ksナゴヤドームに恐れ多くも行かせてもらい衝撃を思い出すとともに気づいた。

わたしが望んでいたのはセロトニンなんかじゃない!
ドパミン分泌がとまらないあの感覚だった!

とにかく煽られてシャウトするあの感覚!

一言で表せば
「声出せねぇなら命はねぇーからな!」

これだ!

6→3でも
充電期間でも

そんなことは関係ない。

彼らはジャニーズの新たな時代、文明を築いたといっても過言ではないと思う。

海賊帆DVD
Real Face

この3枚は3種の神器といえるのではないか?

そんな歴史を塗り替えた彼らを結局わたしは10年もあったのに東京ドームでみることはなかった。

だからこそフル充電の彼らをドームで見られる日がくるまで、わたしはジャニヲタであり続けたい。

そう思い今日もセロトニンを分泌させに…
というよりドパミンを分泌させるその日がまたやってくるまでジャニヲタであり続けるために大阪城ホールへと足を運ぶ。